Mind-Body Thinking Blog
2006-02-28T12:36:24+09:00
banbanKK
こころとからだをめぐるエッセイ
Excite Blog
メタファーと身体症状
http://mindbody.exblog.jp/3591047/
2006-02-28T12:36:24+09:00
2006-02-28T12:36:24+09:00
2006-02-28T12:36:24+09:00
banbanKK
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しかしこういう小説は、思うところは自由にして、「このように解釈できる」というようなことは言わない方がよいのかもしれない。
それを踏まえた上で、この小説では、現実なのかメタファーなのか、単なる実体のない象徴なのか分からないものがいくつも出てくる。
しかし、現実世界にもよく見てみるとこのようなメタファーや象徴ととれることが結構ある。
身体化障害といって、心理的な葛藤が身体症状となって表れるという場合がある。その症状はその人の葛藤の象徴的な症状(すなわちメタファー)であることがある。
例えば、感情や情動の表出ができず、ため込んでしまったり、抑圧してしまうという人が「嘔吐」という身体症状を呈するケースがある。
この場合、抑圧した感情を言葉や表情で表出する代わりに「嘔吐」という形で表出しているのであろう。
身体症状というのは実に不思議である。
どうして他ではなくその身体症状が出るのか。
「脆弱部位に出る」というのは表面的なことに過ぎない。
例えば「頭が痛い」という言葉は単に症状としての「頭痛」以上のことを意味したり、「頭痛」とは別のことを意味することさえある。これは「お腹が痛い」では置き換えられない。
「警告」としての症状、「呼びかけ」としての症状、「メッセージ」としての症状、など、症状にもいろんな意味が込められていることがある。
このような文脈やメタファーとしての身体症状の意味を考えてみると、症状とのつき合い方も見えてきそうである。
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身体の症状と心の症状
http://mindbody.exblog.jp/3273586/
2005-12-24T11:13:16+09:00
2005-12-24T11:12:29+09:00
2005-12-24T11:12:29+09:00
banbanKK
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先日もある患者さんが、
「風邪を引いて仕事を休むことができ、おかげで精神的に休むことができて今は調子がよい。」
と言われていた。
その方はとても自分に厳しく、気持ちが落ち込んで抑うつ症状があっても、休むことは許されないという。ところが、風邪という身体の病気だと、休むことが許せるというのである。
心が落ち込んでいるときというのは「心の風邪」と言っていいだろうが、「身体の風邪」は休むことが許されても「心の風邪」は休むことが許されないのだ。
外来では休職の診断書を書くことがしばしばある。その際、明らかに抑うつ症状がメインであっても、精神的な症状では理解が得られにくいから「自律神経失調症」などの身体的な病名にして欲しいと言われることがある。
それだけ、「心の症状」は理解されにくく、本人も「恥」という意識があるのだろう。
心の悲鳴や葛藤が身体の症状として表れることはよくあり、「身体化」とも言われる。その場合、心の悲鳴や葛藤に気付くことは容易ではない。心の悲鳴や葛藤を認めたくないという意識があるからか、この「身体化」は比較的日本人に多いという説もある。
一方欧米では、精神症状を身体症状として表す「身体化」は低レベルのことと思われる傾向があるようだ。精神症状を正面から扱うことにはそれほど躊躇はなく、カウンセリングや精神的な相談を受けることはむしろ高等なことと扱われる。
どちらがいいというわけではない。ただ、上に述べたように、身体の症状が心の悲鳴であったり、心の症状が身体の悲鳴であったりすることがある。本来心と身体は表裏一体、「心身一如」である。
どちらにしても、症状として表れているからには何らかの「意味」があるのだから、その意味を無視するわけにはいかない。何らかの「警告」であることも多い。とらわれすぎるのも問題だが、いずれも目をそらさずに向き合うことが大切である。
心の症状も身体の症状も、過度に振り回されたり軽視することなく、その「意味」を考えることが解決への一歩となる。
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ストレスと自律神経
http://mindbody.exblog.jp/2635601/
2005-09-04T16:50:40+09:00
2005-09-05T21:58:39+09:00
2005-09-04T16:48:54+09:00
banbanKK
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の中に興味深い記述があったので、紹介しよう。
「持続的な情動変化の時には、交感神経と同時に副交感神経系も緊張すること
が分かってきた。」
「持続的な情動への圧力による、相反した二種の自律神経系の同時興奮による
身体内のアンバランスこそ「ストレス」状態なのだ。」
自律神経というのは、身体の様々な機能のバランスを調整している神経系で、意識的ではなく、自動的に働いているものである。この自律神経には「交感神経」と「副交感神経」とがある。
交感神経は、活動・緊張・戦いなどのときに緊張する神経であり、副交感神経はそれに拮抗する神経である。すなわち、身体を休ませる方向に向かわせる、いわば安息と憩いの神経ということができる。
戦いのときのような一時的で激烈なストレスに対しては、アドレナリンやノルアドレナリンを介して交感神経が緊張し、交感神経優位の状態になる(キャノンのストレス学説)。
しかし、現代の生活ではそのようなストレスよりは、持続的で繰り返される(ダラダラと続く)不安や怒りなどが大きいと考えられる。そのような持続的な情動変化の時には、交感神経と副交感神経とが同時に緊張するというのである。
緊張と休息のバランスがとれていると、緊張する場面では交感神経優位となり、休息の場面では副交感神経優位となって、適切に状況に対応でき、ストレスも少なくなるだろう。
しかし、持続的なストレスによって2つの神経系が同時に興奮すると、体はきわめてアンバランスな状態になってしまう。すなわち、どちらもが緊張してしまって適切に調整することができなくなってしまうのである。
心身症の一つに「過敏性腸症候群」という、便秘や下痢と腹痛を繰り返すものがある。
腸の動きを亢進させるのは通常は副交感神経であるが、この心身症の背景にこのような自律神経のアンバランスな状態があると考えると理解しやすくなる。
もちろん、心身症の背景には自律神経だけでなく、さまざまな要因が関与しているので、これだけで全てを説明することはできないが、理解の一助にはなるだろう。
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アレキシサイミア(失感情症)
http://mindbody.exblog.jp/2306021/
2005-07-18T14:53:53+09:00
2005-07-19T22:37:58+09:00
2005-07-18T14:51:51+09:00
banbanKK
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(Alexisomia) について少しだけ触れたが、大事な内容なのでもう一度述べる。
心身症患者にはアレキシサイミア(Alexithymia)=失感情症の傾向があると提唱したのは、アメリカのSifneosという精神科医である。以後、心身症の病態の重要な一つの要素と考えられてきた。アレキシサイミアの特徴を簡単に言うと
・自分の感情や、身体の感覚に気づくことが困難である。
・感情を表現することが難しい。
・自己の内面への気付きに乏しい。
といったことが挙げられる。
すなわち、内面の感情や感覚の気付きが低下して、感情を伝えることも障害されている状態をいう。
これには、発達早期の母子相互の感情的な交流が、言語的にも非言語的にも障害されたことが関与しているとも言われている。また、家族病理との関係や、社会文化的な因子との関連も指摘されている(感情の表現をあまりよしとしない民族に、アレキシサイミアの傾向が高いなど)。
生物学的な機序としては
・脳幹部や大脳辺縁系と大脳皮質の特に言語中枢領域との伝達機能障害が関係している
・左右大脳半球の機能の解離がある
・右大脳半球で何らかの機能障害がある
という説などがある。
感情の気付きや表現に乏しいと、徐々に内面に抑圧された感情がたまりやすくなり、身体症状化することになる。単にそういう傾向がもともとあるという場合もあるだろうが、あまりにストレスフルな状況の中で、「そうでもしなければやってられない」という状況から、アレキシサイミアの状態になることも考えられる。
「特に問題ありません」「全て何事もうまく言っています」という患者さんの背景に、このような病態が隠されていることがある。このような場合は、少しでも感情を表出できるように援助することが大切になってくる。
このようなアレキシサイミアはアレキシソミア(Alexisomia)=失体感症とも深く関係しているとされている。実際、感情と身体感覚への気付きとは深く結びついているのである。
このアレキシソミアについては、さらに重要な概念なので、改めて述べることにする。
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「クレイター先生最後の授業」
http://mindbody.exblog.jp/2087768/
2005-06-19T21:37:29+09:00
2005-06-19T23:27:07+09:00
2005-06-19T21:36:10+09:00
banbanKK
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「本書は、主人公であるボブ・ハサウェイが人との-とりわけ自分自身との-関わり方を学んでいく物語である。あなたはこの本の中にあなた自身を見るだろう。そして、自分自身がどんな人間なのか、自分が本来の力を発揮できないのはなぜなのかを知るだろう。」
以上、「はじめに」より引用。
「上司からの無理な要求に悩み、川辺にたたずむボブのかたわらに、いつかひとりの老人がいた。『あなたは自分に満足していますか?』その老人の問いかけは、ボブの人生を大きく変えることになった-」
以上、表紙より。
このような類の本は物語ではないのが普通だが、この本はストーリーがあるので読みやすい。そして、中味は示唆に富んでいる。
「成功の秘訣は、全面的に自分を信じることだ。
自分がどんな人間かも分からないのに、どうして自分を信じられる?
自分を知って初めて、自分が信じられるんだ。」
クレイター先生の言葉は重みがある。
自分を認め、自分を信じることができれば、相手を認めることもできる。
「人に合わせる人生はもうやめるんだ。
きみにしかない長所に目を向けなさい。
きみはきみ自身にならなくては。」
クレイター先生の言葉によって、主人公のボブは自分の道を歩み始めることができた。
自分を信じることができず、受け入れることができないと、アンビバレントな感情が生じたり、心身症の状態になりやすい。次のステップに進むには、まず現在の自己を知り、ありのままを受け入れるところから始めなくてはならない。
そんなことを初めとして、いろんなことを教えてくれる本である。
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笑いの効用?
http://mindbody.exblog.jp/1429531/
2005-04-09T11:41:57+09:00
2005-04-11T23:02:09+09:00
2005-04-09T11:39:40+09:00
banbanKK
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ところが、落語だけでなく、涙を誘う人情話や、怪談でも落語を聞いたときと同じ効果があったという。(2005/2/25 読売新聞 「医療ルネサンス」より)
笑いがよいからといって、笑いたくもないときに笑ってばかりいてもよくないのではないかという思いがあったが、「やはりそうなのか」という印象である。
心身症の病態の一つに「アレキシサイミア」(失感情症)というのがある。これは、感情の気付きや表現に乏しく、内にたまってしまうことで身体症状が出てしまうというものであるが、悲しい気分なのに無理に笑っていても、発散どころか余計に感情が屈折してしまうだろう。
「よく笑い、よく泣き、よく眠る。これが心と身体のバランスを保つ秘訣である」と同記事は締めくくっている。無理に笑ったり、無理に泣いたりするのではなく、自然に感動したり感情を表現できる状態であることが大切なのだろう。]]>
「老人と海」、「アメリカとヨーロッパ」、「心と身体」。
http://mindbody.exblog.jp/100270/
2004-12-18T12:10:54+09:00
2004-12-18T12:11:38+09:00
2004-12-18T12:10:04+09:00
banbanKK
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老人はとてつもない大きなカジキと命がけで格闘し、ついに捕らえるが、帰りに鮫に食べられてしまう。自然との壮絶な戦いと、空しさ。
老人が、過酷な状況を常に客観的に見ている視線がおもしろい。主観的な心の動きについての表現はあまりなかった。これは、アメリカ文学らしい、とも言える。
訳者、福田恒存の後記がおもしろい。
「アメリカにはたんに空間があるだけだ。
ヨーロッパ諸国は時間のうえに築かれている。」
(ベルナール・ファイ 「アメリカ文明論」)
「ヨーロッパは空間を必要とし、アメリカを発見した。そこでは空間が時間のかわりをし、未来が過去のかわりをした。」
「アメリカの文明は時間から解放されて、はてしなく横にひろがる現在という空間のうえにうちたてられたものといえましょう。」
その通りだと思う。ヨーロッパには時間がある。過去の伝統という時間が必ずついてくる。しかし、ヨーロッパには空間が不足している。アメリカには時間がないかわりに空間がある。だからどうしても深みにはかけるが、力強さはでてくる。ヨーロッパには時間に基づく思想がある。しかし、逆に時間に縛られてしまう可能性もある。
心身医学の心と身体の関係=心身相関、についての捉え方にも、このような側面がかかわってくる。
アメリカは空間的にとらえようとする。「心」と「身体」は分離した独立のもので、両者に関係がある、という捉え方から抜けきることができない。
ヨーロッパは日本(東洋)に近い見方ができる。すなわち、「心身一如」の考え方である。心と身体は分離できない、混然一体となったものである。
これを分けてとらえるところから、いろんな矛盾が生じてきているのが現在の医療である。しかし、分割してとらえることも場合によって必要であることは間違いない。
両者の見方を適切に使い分けることが重要であろう。
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得意な学習チャンネル
http://mindbody.exblog.jp/66609/
2004-12-12T17:31:02+09:00
2004-12-12T17:29:16+09:00
2004-12-12T17:29:16+09:00
banbanKK
未分類
におもしろいことが書いてあった。
・右脳派、左脳派など、人によって情報処理の方法が異なるように、情報の受け取り方もそれぞれ異なる。私達は色々な情報を外部から感覚器官を通して受け取るが、それぞれに好みの学習チャンネルがある。
五感、すなわち、視覚・聴覚・感覚・臭覚、味覚を経由して表現される個人の言語処理を研究したものをNLP(神経言語プログラミング)という。
・五感の中でも視覚・聴覚・感覚の三つは主な学習チャンネルであり、私達はそのうちの一つを主要な情報処理システムとして使い、他のチャンネルよりも発達している。つまり、
1)視覚タイプ=絵を見ている、
2)聴覚タイプ=音を聞いている、
3)感覚タイプ=感覚を体験している、
の3つのタイプに分かれ、それぞれに理解しやすい言葉がある。
「NLP」については様々な本が出ているので、詳しくはそちらを参照して頂くとして、このような得意な学習チャンネルを想定しておくと、いろんな場面で役にたちそうである。同じことをわかってもらうのでも、視覚タイプなら図や絵で書いて説明するか、視覚的な言葉を使えばよいし、聴覚タイプなら耳に響く言葉で話すのがよい。感覚タイプなら感覚に訴える言葉を使えばよいということになる。
なかなか簡単にはいかないにしても、こういう「得意チャンネル」を理解しておくことは決して無駄にはならないだろう。]]>
砂の器
http://mindbody.exblog.jp/29859/
2004-12-04T23:07:25+09:00
2004-12-04T23:18:29+09:00
2004-12-04T23:06:33+09:00
banbanKK
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丹波哲郎主演、森田健作が共演の分。最近のテレビドラマとは若干構成が異なっているようだが、この映画は名画として知られている。
ハンセン病にまつわる親と子の運命。著名な音楽家となった和賀の過去には、ハンセン病の父親との深い絆があった。しかし、著明になり過去を断ち切りたい思いから、過去を知る、恩人でもある元巡査の老人を殺してしまう。
普通のコメントは言い尽くされていると思うので、少し違った角度から見る。
事件は当初全く手がかりのない難事件と思われた。しかし、方言や会話にでてきた地名らしきものなど、ほんのわずかな手がかりから地道な捜査を重ね、ついに全貌が徐々に解明されていく。分からないことを調べ、専門家の意見を参考にし、その土地に足を運んで聞き込み、次第に点と点を結ぶ線が明らかになっていく。
心療内科の臨床もそのような面がある。病気の背後にかくされた心理社会的背景をいろんな手がかりから解明していく。それは、本人でさえ気づいていないことも多い。解明するだけが目的ではない。解明できたことは何らかの形で伝えていく。そうすることで、今までとは違った、新しい道が開けてくる。その道を進むのは、あくまで患者本人である。
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「イン・ザ・プール」と「空中ブランコ」
http://mindbody.exblog.jp/29839/
2004-12-03T21:00:00+09:00
2004-12-04T23:02:07+09:00
2004-12-04T23:02:07+09:00
banbanKK
未分類
有名になってきたのでもうご存じの方も多いだろうが、奇抜な精神科医・伊良部一郎のもとへ、さまざまな悩みをかかえる患者がやってきておりなすやりとりを描いたものである。
この業界を描いた小説はいくつもあるが、この2冊は専門家の眼から見てもおもしろい。
伊良部は周囲の眼など全くおかまいなし。遠慮や気配りなどとは無縁の気さくで自由奔放な医師だが、そこを訪れる患者達は度肝を抜かれながらも、なぜか続けて通わずにおれなくなる。そして、気がつけば何となく問題も解決に向かっていく。
面白い話として読んでもそれはそれでよいが、治療者と患者の間に何が起こっているのかを考えるとかなり深いものがある。描かれている患者達はとても愛すべき人達だけど、どこか神経質であったり、不器用であったりする。
一方伊良部はそんな患者達に気さくに話しかけ、一見どっちが患者か分からないくらい幼稚な面を見せたりもするのだが、その言葉はときに患者をハッとさせる。また、奇抜な行動はあっけにとられながらも、どこか核心をついたところがある。
そんなこんなやりとりをしているうちに、患者は知らず知らずのうちに伊良部のペースに引き込まれていく。癒されるという言葉がこういう場合適切かどうか分からないがあえて使うならば、徐々に癒されていくのである。
もう一つ注目すべきところは、伊良部の自然さというか、淡泊さというか、あっさりさというか。精神療法は結構「まったり」していることも多いが、それとはかけ離れている。
ここに登場する患者達にとっては、「まったり」よりも「あっさり」の方がかえって心地よいのだろう。]]>
Body Thinking
http://mindbody.exblog.jp/6763/
2004-11-27T23:52:41+09:00
2004-11-28T14:47:54+09:00
2004-11-27T23:51:49+09:00
banbanKK
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例えば心拍数を自在にコントロールすることなど、到底できないと普通は思われる。
しかし、トレーニングをすればそういうことも可能になる。ヨガはそういうコントロールの一つの方法であるが、それだけではない。バイオフィードバックも身体をコントロールする科学的な方法である。
そういう方法を用いて鍛えれば、身体はどんどん賢くなる。
そのときに大事なのは、身体の感覚である。今、この身体の感覚がおかしくなっている人が多いといわれる。過敏すぎたり、体感が鈍かったりする。鈍い方は、失体感症=アレキシソミアと呼ばれることもある。過敏な方とあわせて、体感逸脱症と言ってもよいだろう。
失感情症=アレキシサイミアというのもある。これは、感情の気付きや表出に困難を来している状態で、以前から心身症との関連が言われている。
どうやら失感情症だけでなく、”体感逸脱症”の状態が、心身症の病態に関与しているようである。
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